恥しらざーの備忘録

恥知らずな僕が日々で悩んだことを書いています。

人間失格

吾輩は鬱である。仕事はまだ無い。

 

今日は役所行ったり銀行口座作ったり年金事務所行ったりもうホント疲れましたわ。

疲れが溜まると僕は、脳ミソが何も動かなくなる。

 

でも仕事してる人って、これの比じゃないぐらい疲れているだろう。

なにせ仕事はほとんど毎日あるからだ。

疲れが溜まると脳ミソが止まってしまい、何も考えられなくなる。

 

まだ仕事も見つかってないのに気が早いかもしれないが、気分転換の方法を考えてみる。

 

何を隠そう恥しらざー(僕の名前です)、何年か前はお仕事をしていました。

由緒正しいブラック企業に勤めていたのである。

 

当時は、後輩何人かに連絡して酒を飲んでいたり、大学時代のサークルにOBとして参加したりするのが楽しみのひとつだった。

今思えば、後輩に迷惑ばかりかけていたので失敗である。

もう現役の大学生に顔見知りがいなくなった為、どうせできないが。

 

ただ、僕にとっての最大のストレス解消法は「人に会うこと」だと思う。

人に会い、会話をするということで脳ミソの換気がされて新しい空気が入ってゆく。

もし、ストレスの原因が解っている場合は愚痴をこぼす。

わからない場合でも、喋っているうちに頭が働き、ストレスの大元が解る、ということもある。

 

それには気の合う友人と会話する環境が必要になってくる。

 

飲み会が常にできればいいが、そう都合はつかないだろう。

お金もかかるしね。

 

今はネット環境さえあれば、無料で会話できるいい時代だ。

 

僕の手持ちで気軽に「疲れたー、喋らしてー」と甘えた口を利ける相手は…

高円寺、鉄道、天ぷら(仮名)、コナフキン(仮名)、はぐちゃん(仮名)、ゲーム屋(仮名)、特撮(仮名)、アロワナ(仮名)、以上8名である。

天ぷらとは、天ぷらを作っていたら手に大火傷を負ったエピソードが印象的だった大学の同期。

ナフキンとは、乾燥肌で学ランに粉が吹いていた中高の同級生。

はぐちゃんとは、『ハチクロ』の花本はぐみに酷似している高校時代の教育実習生。

ゲーム屋とは、ゲーム会社に就職した大学の同期。

特撮とは、特撮アニメ大好きな大学の先輩。

アロワナとは、魚大好きでアロワナを飼っていた中学の同級生、である。

 

もちろん高円寺と鉄道も仮名だが、すでに紹介しているので省略する。

 

上記のうち、はぐちゃんとゲーム屋、特撮は女性なので気を遣う…。

アロワナに至っては、20年以上連絡してないので生死不明である。

 

ああ、ホントに人間関係って煩わしくてストレス溜まるわ〜。

 

おあとがよろしいようで。

読書ーズハイ

時間があるとくよくよ悩むという習性を持つ僕にとって暇は敵である。

なんとか時間を潰したい、だがお金はない。

そこで本を借りてきて読もう、と考えた。

 

ただ、僕は活字が読めない。

正確には本を読むのが嫌いだった。

 

僕が何かを嫌いになる原因には家族が絡んでいる事が多い。

姉は僕より学校の成績が良かった。

というか学年でもトップクラスであり、特に努力せずに好成績を修めていた。

そんな姉は僕が成績が悪いことを「本を読んでないからだ」とし、僕は半ば強制的に本を読ませられた。

こうして本を嫌いになる少年が一人出来上がったのだった。

ここでも家族アレルギーが出ていた。

 

しかしやり方は間違っていたものの、本と教育は全くの無関係だろうか。

僕の周りでも頭のいい人間は本を読んでいる事が多かった。

本を読むことには如何ほどの価値があるのだろう。

その価値を調べるためには自ら本を読むのが手っ取り早いだろう。

 

数少ない友人の1人である高円寺が本を大量に所持していたので高円寺と連絡を取り、何冊か本を借りたのだった。

高円寺とは僕の後輩であり、駅名・地名ではない。

 

先週は5冊、今週は1冊本を読んだ。

内訳はエッセイ3冊、短編小説2冊、小説1冊である。

 

本を読んで収穫だったのは、「千里の道も一歩から」が体感できたことだ。

本を読み始める前は「こんな厚い本、どれぐらい時間がかかるのだろう」と思っていたが、10分も経つと思ったよりページが進んでいることに感心した。

少しでも歩いていればいつか目的地にたどり着けるということが、肌感で理解できたのだ。

 

もう一つは「読書ーズ・ハイ」になったことである。

所謂ゾーンというやつだ。

読書ーズハイになると、するすると活字を読めるようになり、本を手放したくなくなる、という状態にまでなった。

 

あとは、文章を理解するための「読解力」、自分の書いた文章がおかしくないか判断する「文章力」、単純に「知識」。

この辺が得られればいいなあ。

 

どうせ暇つぶしなんだし、気楽に読み進めていくことにする。

大女優へのあゆみ!今こそ演技力を磨きましょう②の感想

毎週毎週『日向坂で会いましょう』という番組は自己ベストを更新していくぜ…。

 

という訳で本日は『日向坂で会いましょう』の感想を書いていきます。

 

『日向坂で会いましょう』という番組は「日向坂46」というアイドルグループの、所謂アイドル番組である。

 

今回は演技企画の完結編ということであった。

メンバーが順番に固定のシチュエーションでアドリブ芝居をしていく、というもの。

だが、企画説明の段階からメンバーの鋭いガヤが聞こえる…。

番組MCを軽くひといじり。

アイドルがイジれる隙がある春日も凄いのだろうが、いじるミホワタナベ&キャプテンも凄い。

 

企画の意図を理解していないと正確なガヤは入れられないし、使われない、と思うと流石である。

 

アドリブ演技はなっちょが選ばれた。

なっちょといえばここ一年でキャラが確立されたような気がする。

インドネシア、サリえもん、など天然で全く予測のつかないことをやってくれる。

そして演技も期待を裏切らず、若林の指示をスルーしてしまうという天然さが炸裂した。

意外とというかなんというか、なっちょは顔芸もイケるなあ。

 

となっちょ1人で即興キャラ芝居は終了。

 

と思いきや、今度は決勝戦のようなものを行うという。

丹生ちゃん、KAWDAさん、かとしが決勝へと駒を進めた。

 

一番手は丹生ちゃん。

春日の贔屓キャラという立ち位置だが、その状況を利用し、急成長している様に見える。

今回は春日の悪ノリもあったが、お終いDeath、3本ジワ、ヘッ、など思い切りのよいアドリブが見れた。

 

二番手はKAWDAさん。

彼女もここ最近めちゃくちゃ成長している1人ではないかと思う。

マイペースという言葉が似合う彼女は芝居の巧さと考えるとわからないが、ほわっとする気持ちにさせられる。

と思いきや、KAWDAさんの演技でおすずが感涙しているではないか。

本当に育ちが良いんだろうなあ。

 

3番手かとし。

若林に鍛えられているのだろうか、はたまた彼女の潜在能力が凄いのか、流石のリアクション芸だった。

 

若林も言ってたが本当に『ゴッドタン』のバカヤロウ徒競走を見ているかのようだった。

実際今週は『ゴッドタン』より『ひな会い』の方で笑っていたような気がする…。

かたや深夜芸人どバラエティ。かたや深夜のどアイドル番組。

同じ様に笑えるのは彼ら彼女らが凄いのか。はたまたテレビ東京が凄いのか。

その両方か。

 

まったく来週も楽しみだぜ!

難しいの向こう側

『春と盆暗』という作品を読んだ。

その作品が、なんというか妙に引っかかるものがあった。

 

この単行本には短編の読み切り作品が4話載っている。

第1話第2話、と分けられていることから、この読み切り作品は単体の物語ではなく、全て共通のテーマがあると考えられるだろう。

各物語ごとに、一組の男女を中心に物語が描かれている。

物語の結末はその男女が付き合えてハッピーエンド、というものではない。

男子が女子を好きだ、とはっきり言っている描写は見当たらなかった。

せいぜい、いわゆる「気になっている」程度のものだけが感じ取れた。

特徴的だったのは登場人物の女の子、または男の子あるいは男女両人が独特な世界観を持っている、という点だ。

主人公のキャラクターが、その世界観に触れてあれこれ考え、行動する。

そして人間関係が少しだけ変化する、というところでストーリーは終わっている。

 

一回読んだ感想は、「何が言いたいんだこれ」である。

 

少年が憧れの女の子と付き合うわけでもない。

いじめられていた子のいじめが終わったわけでもない。

恋人と悲しい別れがあったわけでもない。

 

そして変わった世界観を持つキャラクターの世界観に丁寧な説明がされているわけでもなく、不可解なまま、物語が終わるのだ。

 

難しかった。というのが正直なところである。

僕はわかりやすい作品が好きだ。

好きだし、そういう作品を名作だと考えていた。

 

だが、難しいという感想だけでいいのか?

ただ自分が理解できなかっただけの作品に文句を言うことはカッコ悪くないか?

こういった声が自分の内側から出てくるようになったので、ここらで僕もなんとか成長のため、難解な物語を自分なりに解釈してみようと思ったのである。

 

僕は「男女とはお互いにわかり合えないものだ」というテーマを描きたかったのではないかと推察する。

 

男女は対岸の生き物、という言葉があるように、昔から男と女の間には深い溝があると考えられていた。

さらに思春期の男女ともなれば、なんだか変な考え方もしている時期である。

そんな男女はわかり合えない。この物語を読んだ僕と同じでわからないのだ。

 

だが、この物語のキャラクターたちは、以前の僕と違い、理解する努力をしている。

相手の世界を自分なりに解釈し、相手に寄り添う努力をするのだ。

 

そして、関係が変わる。それは素晴らしいことだ。

と言っているような気がする。

 

人間は誰からも理解されない一面がある

それを理解しようとする心とその行動に価値があるのではないか。

作者の熊倉献は言っているのではないか。

 

頭の悪い僕にはこの辺が限界である。

だが、読み終わった直後に抱いていたモヤっとしたものは晴れた。

 

考えさせられる作品というものも悪くないものだ。

 

 

マンガなんてローン組んでるようなもの

幼い頃からマンガが日常にあった。

 

僕の父は毎週水曜日にマンガ雑誌『マガジン』を買っていた。

その『マガジン』を読むことが週の楽しみのひとつだった。

 

マンガから歴史を、漢字を、社会を、異性を学ばせてもらった。

好き、という言葉では足りない。

僕はマンガを愛している。

 

そんな僕がマンガに思うこと、それは

マンガなんてローンを組んでいるようなもの

だ。

 

正確には、マンガというか連載漫画のコミックスのことである。

書店で見たことのある人が多いと思う。

 

マンガを一冊買って、その続きは買わない、なんて人はほとんどいないだろう。

つまりそのマンガが10巻で完結していれば10回、20巻ならば20回、100巻ならば100回ローンを組んでいるも同然だということだ。

 

しかも連載中は何巻で完結するかはわからないので、軽い気持ちで購入した一冊のために途方にくれる方もいるのではないか。

かといって、面白そうなマンガを発見して、完結まで待つ、というのもつらい。

 

それなのにマンガのメインターゲットは少年少女なのだ。

ひとたびマンガを購入してしまえば、あっという間にお小遣い帳は火の車である。

 

ローンと違う点は支払いの期限が決まってないというところぐらいか。

 

面白さ=長さではない。

だが、長く連載を続けていられるのは面白い証拠でもある。

 

そう考えるとローンも悪くないのかもしれない。

世界を救うのは二流

どうか…どうか世界を救わないでくれ!

僕は漫画を読んでいると、こう思う時がある。

 

漫画で冷める展開のひとつに、「強さのインフレーション」というものがある。

主人公が立ち向かう障害が、回を重ねるごとに強大になっていく、という展開だ。

 

有名な例に『ドラゴンボール』がある。

物語の序盤は主人公・悟空とヒロイン・ブルマが、願い事を何でも叶えるというドラゴンボールを探す、というストーリーだった。

その道中に行く手を遮る敵が格闘家から軍人へ、さらには魔族、宇宙人、人造人間などなど…。

最終的には地球を救い、全世界のヒーローとなる、というものだ。

 

インフレの何が問題かというと、「拡大し続けるスケール感」にある。

 

ほとんど命懸けで敵を倒しても、またさらに強い敵が現れる、ということは序盤のほうに登場した敵はなんだったのだろうか?

最初は魅力的に見えたキャラクターがめちゃくちゃ噛ませ犬的に感じてしまい、興が削がれないだろうか?

 

そしてインフレを重ねた結果、大体が世界を救ってしまうのである。

特に格闘・アクション漫画に多い傾向にある。

 

ドラゴンボール』はまだマシな方である。

僕が見たインフレで特に酷いと感じたものが2つ

 

史上最強の弟子ケンイチ』と『エア・ギア』である。

2つとも大好きな作品であることは間違いない。

愛しているが故に惜しい、と思うところがあるのだ。

 

 

2作品とも狭いスケール感が魅力だったのだ。

 

史上最強の弟子ケンイチ』はそもそも主人公が弟子、という最強とかけ離れた存在であるため、インフレが起こりにくいはずだ。

町の不良を人知れず倒していく、というストーリーも救世のヒーローとなる展開から程遠い、と思っていた。

しかし、順調にインフレを起こしてゆき、最後の方は人を殺め得る実力をつけていってしまった。

 

エア・ギア』は空を飛べるローラースケートのような「エア・トレック」を履いた不良チーム同士の走り合い、というストーリーだった。

だが、こちらもやはり、人を殺め得る実力をつけ、地球を救った。

 

何故、このような現象が起こってしまうのか。

それは週刊連載(または月間連載)という特殊な環境がそうさせるのだ。

 

漫画を描いている作者もそこまでストーリーがでかくなる予定ではなかったのだろう。

しかし、週刊連載で人気が出てくるとなると、5年や10年の長さは珍しくない。

さらに「先週より、前巻より売れねば」と思うあまり、スケールが大きくなってしまうのではないか。

 

アニメや映画はある程度、リミットがあるためインフレは、そう起きないのだ。

 

今日もどこかで漫画のインフレが起きているかもしれない。

そう思うと僕は「どうか…どうか世界を救わないでくれ!」と強く願うのだった。

「まったく、最近の若い奴らは…」って言い出したらおじさんの始まり

僕は「ネットコミュ障」である。

「ネットコミュ障」とは僕の造語で、「SNSなどのオンライン上でのコミュニケーションが著しく苦手であり、デジタル世界で孤立してしまう人」を指す。

 

ネットコミュ障にとって現代は非常に生きにくい。

SNSが現実の人間関係に大きく影響してくる時代は地獄のようだ。

 

田舎の村社会が嫌で都心に来たというのに、なぜまた世間の目を気にして生きねばならないのか。

 

なぜそんなにネットでコミュニケーションが取れないのか。それには訳がある。

 

15、6年前、中学生だった僕は親のパソコンで遊んでいた。

その当時、ゲームといえばブロック崩しスーパーマリオのパロディ的な横スクロールが大半を占めていた。

 

そんなゲームに飽きて他のゲームを探していた僕は、ひとつのオンラインゲームに遭遇する。

 

その名は『エンドレス・バトル』。

何体もあるドット絵の中から好きなものを選び、名前をつけられる。

それが自分のアバターとなり、他のプレイヤーと対戦することによりレベルアップしていく、というものだった。

 

マウスクリックだけでアクション性は無いが自由度は高く、国家(という名のグループ)を作ったりもできた。

いわば、ゲームのできるSNSである。

 

中学生の僕は、その『エンドレス・バトル』にいたくハマり、友達を誘ってやりだした。

門限を過ぎているのに友達と遊んでるというなんとも言えない興奮。まさにエンドレス。

 

『エンドレス・バトル』内のプレイヤーランキングなんてのもあり、他のプレイヤーの名前も知ることができた。

そして『エンドレス・バトル』にはチャット機能がついていて誰とでも会話できたし、ゲームをやっている全員宛、なんて事もできた。

 

そのチャット機能で悲劇は起こる。

 

ある日、僕と友達はチャットをしていて、流れは忘れたが、『死ね!!!!!!!!!!!!!!!』という文面を送った。

友達に送るはずだった。

その文面が操作ミスによりなんと、全員宛、になってしまったのだった。

 

ミスに気が付き全員宛に謝罪するが後の祭り。非難轟々。

個人チャット宛にも何通か批判する声が届いた。

トドメに、ランキング上位のプレイヤーからお説教のような内容が届いた。

 

その日以来、僕は『エンドレス・バトル』にログインしなくなった。

 

だが、後日、リアルの友達から衝撃なことを告げられる。

なんと僕にお説教カマしたプレイヤーが僕らより年下だったのだ。

 

今思えば、ただの操作ミスなんだからそんなに気にすることは無いと思う。

だが当時は艶姿純情BOYな中学生。相当に落ち込んだものだった。

 

それ以来僕はネットコミュ障となったのだった

 

そしてここ最近のゲームの多くは、アバターを作り、他のプレイヤーと交流することが前提になっている。

ゲームは好きだ。好きだけど、どうか閉じていた世界でCPUとやらせていてくれ。

 

ネットコミュ障の受難は続く…。