恥しらざーの備忘録

恥知らずな僕が日々で悩んだことを書いています。

槙田雄司『一億総ツッコミ時代』感想

僕はお笑い芸人のラジオを聞くのが趣味だ。

その中のひとつがオードリーのオールナイトニッポンである。

ラジオ中に若林が一冊の本を紹介していた。

それが『一億総ツッコミ時代』である。

若林の説明が面白かったのもあるが、僕はこのタイトルが心に引っかかるものがあり図書館で借りたのだ。

 

この本は「マキタスポーツ」という15年目のお笑い芸人が書いた、いわば警告書だ。

日本はお笑いの、バラエティ番組の影響でツッコミ過多の社会になっているというのだ。

そして、「メタ目線」のツッコミが多い社会は息苦しい、と述べ、「ベタ目線」のボケに変わるよう勧めている本である。

 

僕はこの警告を見てドキッとした。

なぜなら僕は生粋のツッコミ気質だからだ。

 

僕は幼い頃から「ツッコミ芸人」と言われていた。

と言っても本当に芸人な訳ではない。

会話の中でよくツッコミを入れる様子からそう言われたのだ。

僕は会話術をマンガから学んだ。

黒いラブレター』というギャグ漫画からお笑いのエッセンスを学び取り、トークスキルとした。

バラエティ番組経由で得たわけではなかったのだが、何はどうあれツッコミである。

この本はお前のような奴に書いたものだ、と言われているような気がしたのだ。

 

このマキタスポーツという人間は僕から僕をつまらない人間に仕立てようとしているのだろうか?

いやそうではない。

もっと面白い生き方はどうだろうか、と言っているのだ。

 

ではメタ目線のツッコミとはどういうものか。

 

メタ目線、もっと言うとマスコミ視点、だろうか。

インターネットの普及により、多くの人が物事について何か発言できる機会が増えた。

それで良いことも増えただろうが、同時に悪い影響も出ているのだ。

Twitterに誰かを誹謗中傷するような投稿が問題になっている。

何かを発表すると誰かからツッコミという名の誹謗中傷が飛んできてしまうのだ。

 

「無」から「有」を生み出すことが「ボケ」であるならば、そのことについてあれこれ茶々を入れることは「ツッコミ」に当たるだろう。

漫才におけるツッコミやバラエティ番組におけるツッコミは必要なものだろう。

それが仕事であり、役割だからだ。

ボケ単体のものよりツッコミがあることにより、視聴者が笑うポイントが理解できる。

だが僕は一般人であり、ツッコミをする必要がない。

それどころか、SNS上ではなにか問題があるといちゃもんをつける「ツッコミ」が多く、寧ろボケが足りないのが現状なのだ。

 

「ツッコミだけをいれていれば、安全な場所から他人を攻撃できます。」

この一言にハッとさせられた。

確かに僕は他人にツッコミを入れるときに「自分はイジられても面白く返せないから」という消極的な理由があった。

イジられて面白く返せないなら、また誰かをイジって安易な笑いを手にするのではなく、正々堂々と面白く返せるように努力しろよ、と言われたような気がしたのだ。

 

ツッコミというコミュニケーションは「ここに注目して下さい」という編集で、いわばメタ的な視点なのだ。

そしてプロのツッコミ芸人はツッコまれるかもしれない、というリスクを背負っている。

ハゲた頭の人が「お前ハゲてるやないか!」というツッコミをしてもそれは成立しないだろう。

漫才であれば滑るのはコンビの責任で、番組であれば出演者、編集スタッフ全員の責任になるだろう。

だが、現実世界、またはSNS上ではどうだろう。

滑ってもツッコんだ人間が損をすることはないだろう。

むしろ、ボケた訳じゃないのに恥ずかしい思いをし、更に滑った空気まで味わうという地獄が待っている。

現実に僕は、Twitterでは僕の中で肥大した「ツッコミ視点」がいるため、発言ができないでいる。

 

ではどうすればよいか。

簡単だ、ボケになればよいのだ。

 

現実でもネット上でもツッコミ過多でボケが足りていない。

ボケの需要が大きいのだ。

今更ボケにまわり、攻撃されるのは怖いと思う。

ボケの人からしたら攻撃する者がいなくなり、仲間が増える、ということになる。

そして今まで攻撃されてきたお人好しは、改めて誰かを攻撃しないだろう。

 

具体的にどういうボケがよいのか、今までツッコミだった僕にはそんな心配も出てきてしまう。

手軽なボケ、とくればやはり「ベタ」だろう。

 

今まではベタなことをやりたくなかった。

安易な手段に逃げているようでカッコ悪く見えるからだ。

そうやってもっと安易な「ツッコミ」に逃げ、笑いを取っているポーズだけして誰かを傷つけていたのだ。

滑ってもいい。世の中にはまだいっぱいツッコミが居るではないか。

そう、この本は教えてくれたのだ。

 

また誰かをツッコんで笑いを取った気になってしまっていたら、今度は書店で購入しようと思う。