ハム太郎ではないですよ
僕はマンガが大好きなのだ。
そんな僕が最大の敵に遭遇してしまう。
少女マンガである。
そう、少女マンガとはマンガであってマンガに非ず。
マンガの括りに入っているが、もう別ジャンルと言っていいだろう。
今までちゃんと読んだことのある少女マンガといえば『赤ちゃんと僕』のみ…。
『ハチクロ』や『ちびまる子ちゃん』は少女マンガと言えるか怪しいのでここでは除外する。
だが『赤ちゃんと僕』も小学生男子が主人公だし少女マンガといえるのか…?
僕が少女マンガに対するイメージは、ページの端に作者の近況の日記のようなものがあったり、恋愛をテーマにしていたり、コマ割りが独特だったり…。
マンガとして他の作品と比較するにはあまりにも違いすぎると感じたため、自分の中で少女マンガは「少女マンガ」というジャンルにしてしまったのである。
絵柄も他のマンガと比べて独自の世界で進化したもののように感じる。
そして僕は少女マンガが嫌いである。
理由はシンプルに面白くないものが多いから
だがそう評価していたのも過去のこと。
未熟な僕が、少女マンガを理解できていなかったのではないか?
理解不能なものを「面白くない」と吐き捨てるのは間違っていないか?
そんな自問自答をしている中、高円寺からある一冊の短編集を借りた。
『ことのは』という少女マンガである。
「部活応援委員会」がコンセプトのオムニバスだが、「言葉」縛りと「恋愛」縛りを作者自ら課して描いた4作品が収録されている。
部活、言葉、恋愛と3つテーマがあるのかと思ったが、この作品集で最も大切にされているものは「言葉」である。
部活は物語の舞台になっているだけで、恋愛もストーリーの入り口にすぎない。
そしてストーリーだが、ここで終わるだろうな、と思ったところからもうひと展開ある。
なのに続きが読みたい、と思わせる最高のラストシーンがあるのだ。
ミステリーのように動き回るストーリーに終始振り回されてしまった。
まさか少女マンガに「騙された!」と思わされるとは思わなかった。
正に「良い裏切られた感」である。
そして必ずしもハッピーエンドで終わらないのだ。
主人公が思いを寄せる相手と両思いになる、というストーリーは1話しかない。
(そのお話も単調なストーリーでは決して無い。)
それなのに爽やかな読後感があるのは何故なのか。
恐らく、どのお話も主人公が何かに体当たりでぶつかり、木っ端微塵に打ち砕かれたからだろう。
全力投球したからこそ、結果に満足し、成長した姿が描かれている、というのが爽やかさの正体だと思う。
この爽やかさは日本橋ヨヲコの『バシズム』に共通したものがある。
まさか少女マンガにここまでヤラれるとは…。
麻生みこと先生、御見逸れしました。