感想持つひと、持たないひと
読書感想文をまともに書いたことがない。
そういう人、多いんじゃないですかね?
僕は、そうだった。
そもそも少年時代、本を読む子ではなかった。
なので読書感想文など、書けやしない。
というか感想なんて「面白い」か「面白くない」かの、2種類しかないだろう。
そう思っていたので、読書感想文を書くなど、馬鹿らしく思えたのだ。
幼少の僕は、用意された原稿用紙と、そのマス目を親の仇のようにして、文字で埋め尽くしていた。
現実に親の仇がいたら感謝感激雨あられだが。余談。
僕にとって、読書感想文とは、そんな苦痛な作業であった。
だが、最近、その考えを覆すことになる。
「スマブラ(仮名)と喋ってもつまんないんだ。アニメの感想を聞いても『面白かった』だけで、
どこが面白かったかって聞いても『全体的に』とか『なんか』とかで全然具体的じゃないんだよ」
相撲(仮名)先輩は言う。
相撲先輩とは、大学時代の僕の先輩で、現在、相撲関係の仕事に就いている人だ。
そしてスマブラも僕の先輩である。スマブラが強かったので、こう呼ぶ。
この話を聞いたとき、「おいおい、そんな人間いんのかーい」と思った。
あれ?でも俺もむかし、読書感想文を書く前にそう思ったな…。
僕は、友達と漫画やアニメの話をするとき、「あのシーンが」とか「あのキャラクターが」とかを喋る。
だが、作品の真の意図だったり、テーマ性なんかは触れてこなかった。
ひょっとして僕の喋りは、物語のあらすじをダラダラと羅列する、原稿用紙を埋めるだけの退屈なものになっているのではないか。
もしかして、読書感想文はおしゃべりを巧くする魔法の学問なのでは?
そんなことを思い、僕は読書感想文の書き方を勉強することになる。
ポイントは、長くなりすぎないあらすじ、心が動いた場面、自分がどう思ったか、3つだ。
あらすじを短く簡潔にするには、物語を要約する力が要る。
心が動いた場面は、なぜ感動したか、自分の生活ではどういうところに共通するか。
自分がどう思ったかは、自分の意見、主張に通じる。
これは日常生活でも応用できそうだ。ついでに感想と批評の勉強もしよう。
批評とは、作品の良し悪しや巧拙に関する評価を述べ、その理由を説明すること。
批評するには、評価だけでなく、何故その評価になったのかの理由を客観的に説明すればいい。
と、いうことはこのブログでコンテンツの感想とか書けるなあ。
それをやりまくって、お酒の席でちょっとした優越感に浸れればいいなあ。