恥しらざーの備忘録

恥知らずな僕が日々で悩んだことを書いています。

家族アレルギー

家族アレルギー。僕はそう呼ぶ。

 

僕は家族が嫌いだ。流石にアレルギー反応は出ないが、家族に対していい思いはない。

他人の家族でさえも「面倒なもの」という認識をしてしまっている。

 

親に感謝しなさい。兄弟仲良くね。先祖は大切にしないといけないよ。

このような、説教染みた定型文は死ぬほど憎んでいる。

 

僕の家族は父、母、祖父、祖母、姉、弟の6人だ。

何年か前に、祖母が癌で亡くなったので今は5人になった。

家族が嫌いと言ったが、祖父と、亡くなった祖母のことは大好きである。

弟のことは普通。好きでも嫌いでもない。良い奴だとは思うが。

 

つまり、ただ家族というだけで感謝もしないし、好きにもならない。

あるがままの人を見ているつもりだ。

 

30手前にもなって親が嫌いとか恥ずかしい奴だな。反抗期かよ。

という人もいるかもしれないが、反抗期だと思ってくれていい。

 

なぜ僕が家族のことが嫌いなのか、長くなるが話していこう。

 

まずは父親だ。僕の父親は酒乱で怒りっぽい性格である。

子供に対しても気に入らないことがあると、すぐに怒鳴ってくる。

ときには手も上げたりする。

僕は子供の躾には体罰も必要だと思う。

躾ではなく「自分が気に入らないとき」に手を上げるのだから始末が悪い。

酔っ払っていたかは覚えていないが、5さいぐらいの僕を思いっきり蹴ってきたことがある。

父親の価値観は「普通であるかどうか」と「世間体が守られているか」だけである。

物事が「普通であるかどうか」だけが彼の判断基準になっている。

自分にも家族にも同様に「普通」であることを要求する。

その「普通」に近ければ満足し、安心するのだ。

そしてそれから外れると「世間体が悪い」となる。

 

僕が思うに、彼に家族を愛する気持ちは、無い。

本当に愛していたのは、亡くなった祖母、つまり彼の母親だけだったと思う。

 

次に母親。母親はメル変(ヘン)な人である。あと頭が著しく悪い。

悲劇のヒロイン体質でもあり、よく「お母さん頭が悪いからわかんない」と逆ギレしていた。

親は子供より偉い、と本気で思っていて、僕と口論の末、自分が劣勢だと思ったのか最後、吐き捨てるように「養われてるくせに」と言っていた事がある。

父親と比べれば家族に愛情はあったのかもしれないが、それも独りよがりだったと思う。

 

最後に姉だ。

姉は、とにかくわがままである。

常識人でもないのに常識人ぶる。自分の正当化に余念がなく、常に言い訳を探している。

 

まだ両親と比べればマシ、だと思っていたが、昨年事件は起こる。

 

僕と姉は京都で二人暮らしをしていた。

姉と僕は同じ持病を持っていて、その治療のため、という訳だ。

もともと僕は東京に住んでいたのだが、僕の衰弱している状態を見て、姉が同居を勧めてきたのだ。

僕は姉と住むのは嫌だったが、『あなたの時間を少しだけ私に下さい』と言ってきた。

そこまでいうなら、と思い渋々誘いに乗った。

とりあえず3ヶ月だけ、という約束で京都での生活が始まった。

 

姉との同居生活は、まあまあ楽しいものであった。自分の自由は少なくなるが、働かなくていいし、お金はほとんど姉から出る。

だが、そのうち、姉からたまに出る男への愚痴と、僕へのお説教がうっとおしくなってきた。

 

そんなとき、なにかがきっかけで口論が起こる。

何かは忘れてしまったが、確か新たに発達障害のテストを受けろ、と言われたのでそれを断ったからだったか。

僕は、「受けないし、このまま姉といると頭がおかしくなるから帰る」と言い、東京への旅費を要求した。

姉からの懇願でこの京都生活がなされているので、当然その権利はあるだろう。

 

だが姉は「約束と違うから電車代は出さない」と言った。は?

約束とは?どうやら「最低3ヶ月は治療目的で京都に住む」という約束のことだった。

そんな約束、僕に必要の無い診断を受けさせようとしてる段階でもう越権行為だ。

僕は「姉が治療行為だと認めればすべて受けます」とは言っていない。

 

しかしどうしたものか、家も姉が借りているものだ(その連帯保証人は僕がやってあげてるのだが)。何もできない。なにからなにまでお金を出すといった約束を違えているのはそっちだろう、とか言っていると、

「そんなにお金が欲しいならお父さんに出してもらえば」と姉が言う。

 

確かに。いやめちゃくちゃなことを言っているが、姉を相手にしていても、埒が明かない。

父親に電話で京都から東京への電車代を出してもらおうとした。

これがダメだった。

 

父親から僕への説教が始まる。そして僕からの反撃は許されない。

だってお金を出してもらおうと思っているのだから。

どんなおかしいことでも、おかしいとは言ってはいけない

そんな話を黙って聞いているうちに、本当に頭がどうにかなりそうになった。

僕は自分の頭を自分で殴っていた。

肌をかきむしり、手の届く範囲すべてを思い切り殴っていた。

そのうち姉の家のクッションをバタンバタンと叩きつけた。

 

それを見るなり姉が止めてきた。うっとおしかったし、タバコを吸いながらでないと無理だと思って外に出ようとしたら姉がそばに来た。

「怖いからもう家は鍵を締める。明日私が仕事に出るまでは入ってこないで。」

こいつ…どこまでもワガママだな…

まあ今晩はしょうがない、外で過ごすか。

そんな事を思いながら、近くの公園へ行った。

 

更に父親は言いたいことを続ける。ここ何年かで、息子に言いたいことが溜まってたようだ。

「そんなんじゃ生きていけねえぞ」と父親は言う。

生きていけないことなどない、どうやったって生きる道はある。

僕は反撃のつもりで「じゃあ死ぬ。」と言った。

「生きていけないなら、死ぬだけだよね」という意味だった。

 

父親は笑った。そしてこう続けた。

「あ、すごいすごい。ここで脅し入れてくるんだね。冷静じゃん。うまい。効果的だね。いいか、そんな事言うやつは自殺なんかしない。」

僕の言葉を「自殺されたくなきゃ、言うことを聞け」という脅しだと捉えたのだった。

 

僕は電話を切った。もう涙が出た。

考えられない。勘違いにせよ、子供に自殺すると言われてこんな反応するものか?

それが彼の言う「普通」なら、もう父と息子だと思わない。

 

そのまま朝を迎えて、もうヒッチハイクで東京に帰ろう。荷物だけまとめないと、と思い姉のいる部屋に向かい、玄関先で寝転んだ。

しばらくして姉の声が聞こえてきた。どうやら父親と電話しているようだった。

その内容は僕を口汚く罵ったものだった。

そして昨晩「怖いから鍵を締める」と言ったのは、「物が壊れるのが怖い」という事だった。

これが、「あなたを助けさせて下さい」と言った奴と同一人物か?

もうこいつとも無いな。と思っていたら玄関のドアが開いた。

 

驚く姉。そして締めた。

どうやらもう僕を入れないつもりらしい。俺の荷物はどうなるんだよ。

そのうち姉は警察を呼んだ。

僕は警察とお話する。警察が電話を僕によこした。電話口には父親がいた。

 

今日はネットカフェに行きなさいと言う父。お金がない、と僕が言う。

その言葉に父は激昂する。マトモな会話ができない。

ブタ箱に入りてえのか、とかなんとか言っていたな。

そのうちに電話を警察の人が受け取った。

そして、何点か注意を受け、姉の部屋に入れた。

姉は何か言ってきたが覚えてない。

 

そして僕はヒッチハイクで東京に帰ってきたのだった。

色んな人に助けてもらったがそれは別のおはなし。

 

この京都事件で僕が悪かったのか姉が悪かったのかはわからないが、警察を呼ぶような人ともう会えない。さようならだ。

 

そんなこんなで僕の家族アレルギーは完成する。

なるべく関わりあいにならずに生きていければなと思う。

おじいちゃんとはもう会えないかなあ。

弟を介してなんとかしようかしら。

弟とは近いうちに会う約束をしているので、そのとき相談しようっと。