幸せのかたち
僕は将来、結婚するだろう。
将来といっても、もう29さいなのだが。
更に言えば、いま、彼女もいない。
どの口で「結婚」などのたまうのだろうか。
突然だが、幸せとは、いつ訪れるのだろうか?
おいしいご飯を食べたとき、恋人と過ごしている時間、ヤクをキメているとき。
さまざまな幸せがあると思う。
真の幸せとは、死ぬ瞬間に訪れる。
僕の主治医はそう言う。
死ぬ直前に人生を振り返って、幸せだったか不幸せだったかが決まる、という考え方だ。
よい学校に通ってい、よい会社に就職し、よい相手と結婚してよい子宝に恵まれようとも、最後の最後、ひとりぼっちで死ぬことを僕は幸せなこととは思わない。
僕が幸せだと思う死のかたちとは「愛する者に囲まれて」「穏やかに」「ベッドの上で」死ぬことだ。
「愛する者」とは友でもペットでもよいのだが、まあ家族を作ることが最も自然だろう。
そのためには、結婚をしなければいけない。
という訳で、冒頭にあるとおり、結婚するだろう、となる。
結婚するとすれば、恋愛結婚が好ましい。
お見合いなんかで、相手の人となりがわかる訳ない。
恋愛をして、幸せになれる相手かどうかを見きわめるべきだ。
しかしここで一つ問題がある。
僕は恋愛に向いていない。
ここまで長々幸せの定義を説明しておいて、結論が恋愛に向いてないってなに言ってんだバカ!できるできないじゃなくやるんだよ!
僕の中の理性の人格がそんなことを言っている。
わかっている。わかってはいるが、本当に向いていないのだ。
まあまあ、男は顔じゃないさ!ってやかましいわ!!
自分でいうのもアレだが顔は悪くない。29年も生きていればそのくらいのことが解るようになる。
ではなぜ向いていないと思うのか。
誰かを好きになって告白する。そこから本格的なお付き合いが始まり、お互いの相性を確かめる。
ここ。始まりの部分。
「誰かを好きになって」「告白する」この2点が鬼門である。
まず、好きな相手が滅多に現れない。ただただ生活していくだけで異性を好きになるだろうか、いや、ならない。(反語)
そして告白である。僕は告白することが怖い。
過去に4回告白をしたことがある。うち1回だけ成功し、その後お付き合いをした。
その経験を踏まえ思う。振られるのが怖い。
振られるショックはなにものにも代えがたい。
胸を鋭い刃で刺され続け、肩には銅像が乗っかってんのかい、ってくらいの重みがのしかかる。
この状態が1ヶ月以上続く。
僕の好きなあの子は、僕に優しくなんかされたくないのだ。と思うと、つらい。
唯一、付き合った女性とは3ヶ月しか続かなかった。そこでもまた、振られたのであった。一度付き合ってるだけに、そこから振られるのは更につらかった。
こうして僕は、告白して得られるものと失うものと天秤にかけ、告白しなくなる。
更には、告白しても実らないと思うと、好きになることすらやめてしまう。
この負のスパイラルから、どうにかして抜け出さねばならない。
せめて、いまできる努力はなんだろうか?
考えつくのは、
・職を見つけ、安定した生活を手に入れること。
・たくさんの女性と出会い、連絡先を交換すること。
のふたつくらいだろう。
どちらも言うほど簡単ではなさそうだ。
いますぐにできることといえば、このブログのプロフィール欄に「彼女募集中」の文字を付け加えることぐらいだろう。
僕の幸せの道のりは長い。